普通の基準って環境によって違うので気にしなくてもいいと思う

こんにちは、白井くま子です。

発達障害の当事者であるあるなのは「変わってる」と思われてしまうことかと思います。

私も普通になりたかったですし今もそう思います。

普通になれたらこんなに苦しくならなかったのかな、と思うんですよね。

でも最近思ったのが

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「普通」って人やコミュニティによって違う気がする

結局普通ってなんだろう。

時代の変化なのか、昭和的な普通でなくても、最近では生き方や価値観に多様性が出てきておりますよね。

(昭和くらいの頃って、今よりも「皆同じになれ!」という要素が強そうなイメージがあります)

ある業界の雰囲気では、自由でな感じなところもあれば、別の業界では保守的で、厳しくて、という雰囲気が漂うところもあるようです。

(どちらにせよ勤務先にもよります)

業界によってそこで働いてる人の常識の価値観もまた違います。

「人それぞれでいいじゃない」という人が多いところがあれば、

「こうでなければならない」という人が多いとこもあるようです。

(もちろん個人差ありますし人によるのは前提ですよ)

私が卒業した学校は保守的で厳しくギスギスした世界でした。

どうしても合わなくて、「普通になりたいのに変わってると言われる。普通じゃないのがとにかく辛い」と、ずーっと思ってましたが、別の関係ないところに行ったらそこまで、その学校の中の「普通」を求められなかったのです。

結局、普通って、その中のコミュニティによって変わりますよね。

そこの世界の普通は客観的に見たら普通じゃ無いことも

例えば、部活動問題というものがありますよね。

部活は学校の先生の仕事ではなくボランティア。だけど現実では半分強制で土日なしの長時間労働。そして部活してる生徒も疲弊してしまう。ということから、先生が「部活をやるかやらないかの選択肢の自由をください」という問題です。

学校の先生の世界はあまり知りませんが、お人好しな教師に付け込み、今までそんなブラック労働が「普通」とされていた。

客観的に見たらそれは普通なことに感じづらいことですよね…。

居やすい環境

動物の世界だって、環境が変わったりストレス感じたりしたら生き残れなかったりします。

人間も、やはり居やすい環境、居心地のいい環境にいることが一番生き生きできると思うのです。

要するに「普通」とは、そのコミュニティの中の一つの基準。

普通のハードルが高い場所もあれば、そうでない場所もあるはずなので、雰囲気に合う場所を探していくことって大切なのでしょうね…。