私が発達障害と診断されるまでの流れ

こんにちは。白井くま子です。

私は今まで生きてて、困り感や、人と何かが違うような違和感を感じつつ生きておりました。

やっと診断されたのは成人してから。

今日は診断されるまでの話を書いていきますね。

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病院へ行くまでのエピソード

発達障害という言葉を知ったのは、専門学校時代でした。

当時通ってた学校で学ぶことは、私には全く合わない・苦手なことばかりだったのです。

技術面があまりにも出来なさすぎて、毎日先生に怒られ、同級生も入学時から見下されていじめられておりました。

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先生にも家の話したことありましたが「子供の苦手なこととか、合う合わないとか、そうゆうの考えずに入学させるなんてひどい!」と、理解はしてもらいましたが、「でも…辞めたいなら親と相談しなきゃ退学できないわよ」と言われました。

毒親の価値観の押し付けで無理矢理入学させられてしまった学校で元々行きたくなかったのはそうなのですが、もし技術的に問題なければ卒業後もその仕事してたかもしれません。

でも、当時あまりにも毎日辛くて辛くて、卒業後もこの仕事できないだろう。と思い、「辞めたい」と毒親に言ったら「ふざけるな!」「やめるなら授業料今すぐ返せ!」と怒鳴られてしまいました。

授業料なんて学生なのにすぐ返せるわけないのに、そもそも行くたくない学校だったのに、無理なことを言われ、卒業までかなり無理をして頑張りましたが…卒業後は力尽きた様に無気力になって引きこもりになりました。

それはさておき、どんなに放課後練習しても、努力しても、一向に向上することはありませんでした。

他の人は練習しただけ上手になる子も居ましたし、さほど練習しなくても上手な人もおりました。

もちろん、技術面が苦手な人もおりましたが、放課後練習して少しずつ伸ばしていきました。

私は、その技術が苦手な人のように練習して少しずつ伸びるということも一切ありませんでした。

私は人よりも、練習していたのです。

毎日、朝も先生の許可をもらって練習して、放課後も練習して、休みの日も。

先生に積極的にアドバイスもらったりして、誰よりも、すごく、すごく努力をしてました。

それでも、残酷なことに……技術が苦手な他の人みたく少しずつすら伸びることすらなく、

全く伸びることはありませんでした。

それでも毒親は「お前の努力が足らないからだ!人よりももっと努力しろ!できないのは努力が足らない」と、追い打ちをかけられてました。

絶望しました。

自分は何かがおかしい

今まで、なんか私は人と違うな〜。という漠然とした違和感を感じてましたが、専門学校のことが決定打となり、発達障害という言葉も当時知りましたので、迷うことなく心療内科へ行きました。

「発達障害は専門じゃないからわからないな…このクリニック行ってみてくれる?」

と言われ、別のクリニックへ行っても

「発達障害は大人のはやってないんだよね…」

また別のクリニックを教えてもらって行くと、

「大人のは対応してるのかわからないけど、発達障害の先生が毎週●曜日(平日)に来てるから」

と言われました。

専門学校は出席などに厳しく、技術の授業は1回休むと進んで尚更わけわからなくなってしまうので、毎週特定の曜日に休むことができません。あまり休むと卒業・進級にも関わりますし。

当時はまだ発達障害の診断などを対応してないクリニックが多かったのかもしれません。

何軒か行ってみましたが…どこ行っても「専門じゃないし」「大人の発達障害はやってないし」と言われ、見てもらえる感じでもないのに初診代とか毎回払わなきゃいけないしで、行くことを諦めました。

何もかも絶望しました。

続きの話はこちらです。